史上唯一ダービーとオークスを勝った名牝
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
『最強牝馬と言えば?』
この問いされた時、多くの競馬ファンが “クリフジ” の馬名をあげるだろう。
クリフジは太平洋戦争真っ只中にデビューし、日本ダービーとオークスの両レースに勝利した唯一の競走馬と知られている。
さらには、前述した2つのレースと菊花賞を合わせての変則三冠を達成した。
レース日程などの影響で現在、1頭の競走馬が日本ダービーとオークスの両レースに出走する事は極めて困難だ。
2024年現在で牝馬のダービー制覇は3頭しかいない事を踏まえても、クリフジの強さは想像に難くない。
さて今回の記事では、これほどまでの偉大な記録を残したクリフジがどのような馬生を歩み、最強牝馬と呼ばれるまでに至ったかを見ていこう。
誕生からデビュー前
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
最強牝馬の誕生
1940年3月12日、クリフジはかつて千葉県成田市にあった下総御料牧場で、父トウルヌソルと母賢藤の仔として誕生した。
幼名は年藤。
父であるトウルヌソルは、ワカタカ、トクマサ、ヒサトモ、クモハタ、イエリユウとダービー馬を多く輩出した名種牡馬でもある。
血統を見るだけでも良血馬だと分かる。
(下総御料牧場には、日本競馬史上初のクラシック三冠馬となったセントライトの父であるダイオライトも種牡馬として生活していた)
名伯楽の元へ
クリフジは競りに出された時から目立つ馬であり、栗林商船会長の栗林友二が4万円で落札。
当時の日本ダービーの優勝賞金額が1万であり、クリフジはその4分の1とかなりの高値だった。
因みに、トシシロとヒロサクラがクリフジを上回る6万円で落札されている。
その後、名門の尾形藤吉厩舎に入厩した。
調教師の尾形藤吉は、フレーモアやトクマサを管理した名伯楽である。
現役時代の足跡
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
新馬戦は4歳の5月
クリフジのデビュー戦はかなり遅く、4歳の5月16日。
同年のクラシック戦線は、既にスタートしていた時期のデビューだった。
20歳の若手騎手前田長吉を背に、重馬場での初レースに挑み、1番人気の期待に応え、デビュー戦を白星で飾った。
前田長吉はこの後の全レースで騎乗する事になる。
牡馬を交えた世代の頂点へ
新馬戦勝利の2週間後、早くも2戦目に出走。
ここでも1番人気に応え連勝。
そして、その翌週3戦目に世代の頂点を決める日本ダービーへ駒を進めた。
ダービー当日、出走頭数は25頭と現代では考えられない多頭数でのレースだった。
数週間前にデビューしたクリフジは、僅か3戦目で尚且つ連闘でありながらも1番人気に支持された。
いざレースが始まると、スタートで大きく出遅れてしまう。
致命的な出遅れかと思われた。
いや、普通の馬なら絶望的な出遅れだっただろう。
大きく出遅れた影響で、前を走る20頭以上を後ろから見てレースを進める事になった。
しかし、向正面中間を過ぎた辺りから差し始め、先頭集団に襲いかかる。
やがて直線を迎え、ぐんぐんと加速。
結果6馬身差で勝利し、昨年に打ち立てられたレコードを更新。
出遅れなと関係無い、圧勝劇だった。
牝馬のダービー制覇はヒサトモ以来6年ぶり2頭目の快挙であり、クリフジ以降2007年のウオッカまで64年間現れない。
騎手前田長吉は、日本ダービー史上最年少勝利騎手となった。(20歳3ヶ月17日、2024年現在も最年少勝利騎手記録)
世代の牝馬の頂点へ
次走にも勝利したクリフジは、世代の牝馬の頂点を決めるオークスに出走。
当時のオークスは秋開催だった。
現在、オークスとダービーは2週続けて開催されるため、日程などの変更が無い限りは、この2つのレースを勝つ馬どころか、出走する馬は恐らく現れないだろう。
ダービー馬の称号を引っさげて挑んだオークスでも圧勝。
10馬身もの差を付け、他馬との違いを見せつけた。
変則三冠達成、そして引退
その後も勝ち続け、菊花賞も大差で勝利。
ダービー、オークス、菊花賞の変則三冠を成し遂げ、デビューイヤーは8戦全勝で終えた。
その翌年、世界大戦の影響により馬券の発売が無く、能力検定競走となるが、3戦して全勝の成績を残し、同年に現役引退。
通算11戦無敗、その後は繁殖牝馬となった。
※馬齢は旧表記
引退後、母としてのクリフジ
※画像はイメージです。(Canvaを使用した執筆者本人による作品)
オークス母仔制覇も達成
1964年にこの世を去るまで繁殖牝馬として主に、
クモハタ記念を勝ったイチジヨウ、
桜花賞、オークスの二冠馬ヤマイチ、
春の天皇賞2着馬のホマレモンを輩出。
ヤマイチは史上初となるオークス母仔制覇を成し遂げた。
殿堂入り
1984年に、クモハタ、セントライト、トキツカゼ、トサミドリ、トキノミノルと共に、発足初年度にJRA顕彰馬に選出された。
さいごに
この名牝を簡潔にまとめると…
・クラシック戦線が既に始まった時期にデビュー
・3戦目でダービーをレコード勝ち
・その後オークス、菊花賞を獲り変則三冠馬に
・11戦無敗で引退
この文だけでも強いの一言では表せられない程、凄まじい成績を残したクリフジ。
文句の付けようが無い最強牝馬であり、恐らく牡馬を交えても最強と呼べる存在なのではないかと考える。
オークスとダービーの両方を勝ったと言う事実だけでも、改めて恐ろしい偉業を成し遂げた名牝だという事が分かる。
クリフジの情報
クリフジ(牝馬・栗毛)
1940年3月12日生
1964年9月10日没 24歳(旧25歳)
父トウルヌソル
母賢藤
母父チャペルブラムプトン
[生産者]
下総御料牧場(千葉県成田市)
[馬主]
栗林友二
[調教師]
尾形景造(東京)
[厩務員]
酒井銀次
[競走成績]
11戦11勝
[主な勝ち鞍]
1943年 東京優駿競走(現:東京優駿)、阪神優駿牝馬(現:優駿牝馬)、京都農商省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)
[獲得タイトル]
1984年 JRA顕彰馬
(参考:Wikipediaより)