【セントライト】史上初のクラシック三冠馬

競馬

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日本競馬初の三冠馬

keiba(トロフィー)

速さ、運、そして強さ

最も速い馬が勝つ『皐月賞』最も運のある馬が勝つ『東京優駿』、そして最も強い馬が勝つ『菊花賞』
この3つのレースを制す事で、クラシック三冠馬の称号を得られる。
長い日本競馬の歴史において2024年現在、クラシック三冠馬の称号を手にしたのは僅か8頭。

そんな8頭しかいないクラシック三冠馬の中で唯一、三冠達成直後にターフを去った競走馬がいる。

その名は、セントライト

約8ヶ月の短い現役生活の中で走り切った濃密な12戦。
今回は、この約8ヶ月間で色褪せる事の無い偉大な称号を手にしたセントライトの馬生を見ていこう。

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誕生

keiba(当歳時)

父はイギリスの優駿

1938年4月2日、当時、下総御料牧場と並んで二大生産地だった小岩井農場にて、父ダイオライト、母フリッパンシーの仔として産まれたセントライト。母父はフラムボヤント。

父ダイオライトはイギリスから輸入された種牡馬であり、現役時代にイギリス2000ギニーを勝利した実績がある。

母であるフリッパンシー産駒(セントライトの半弟)には、皐月賞・菊花賞の二冠馬トサミドリがいる。

人気薄のデビュー戦

keiba(競馬場)

新呼馬戦

セリで加藤雄策に落札されたセントライトは、田中和一郎調教師の元で競走馬として調教を積んだ。

1941年3月15日、年が明けて4歳になったセントライトは、デビュー戦として横浜競馬場で行われた新呼馬戦に小西吉蔵を背にして出走。
12頭中7番人気の低人気であったが、当レースでは2着に5馬身差を付ける快勝でデビュー戦を終えた。

三冠への軌跡

keiba(ターフ)

横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)

デビュー戦を勝利したセントライトは、早くも2戦として横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)に出走。
現在では中山競馬場の2000mで行われる皐月賞だが、セントライトが出走した当時は横浜競馬場の1850mで行われていた。

1番人気に支持されたセントライトは、2着ミナミモアに3馬身差を付けて皐月賞を勝利

※ミナミモアはセントライト世代の最高額馬である。

まず、クラシック一冠目を手にした。

東京優駿競走(現:東京優駿)

セントライトはデビュー戦から6戦5勝2着1回の好成績を残し、日本ダービーに出走。
(唯一、4戦目は鞍上が阿部正太郎に乗り替わり)

皐月賞馬として二冠に挑む事になったが、ダービーでは1番人気のミナミモアに続く2番人気だった。
当日の東京競馬場は重馬場だった。
レースでは3番手をキープしたセントライトは、最後の直線で後続を突き放した。
2着に8馬身差を付けダービーを制し、クラシック二冠馬となった 。

8馬身差は後の第22回(’55)のオートキツと並んで、日本ダービー史上最大の着差である。

目前に迫る快挙

ダービー制覇後の次走として横浜開催の古呼馬特殊ハンデキャップに出走するも、デビュー以来最低着順の3着となる。

その後2連勝、菊花賞前最後のレースでは2着と敗れたが、史上初の三冠に向けて視界は良好だ。

京都農商省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)

迎えた10月26日の京都競馬場、淀のターフ。
クラシック三冠最終戦、菊花賞制覇と史上初の三冠制覇に挑むセントライト。
1番人気で迎えた当レースでは初めての3000mだったが、ダービー同様に前目で競馬を進め、 2着に対し2と1/2馬身差で勝利

史上初、クラシック三冠制覇を成し遂げた。

引退

未練はない

三冠制覇後に帝室御賞典に挑む為に、中山ハンデキャップ競走に出走する予定だったが、斤量72kgを背負う事になると知り、馬主の加藤雄策は引退させる決意をした。

約8ヶ月間と言う短い現役生活だった。
加藤雄策は帝室御賞典に未練なく引退させた。

クラシック三冠馬で三冠競走後に引退、そしてデビューから同一年のみの現役生活を送ったのは、2025年現在でもセントライトのみである。

種牡馬生活と余生

keiba(引退後)

父としてのセントライト

父としても多くの活躍馬を残したセントライト。

主な父セントライトの競走馬は以下の通りである。
・オーライト…1947年平和賞(現:天皇賞(春)
・ニユージヤパン…1947年農林省賞典障害(現:中山大障害)
・オーエンス…1950年天皇賞(春)
・セントオー…1952年菊花賞

母父としては、トキノキロクが1960年の桜花賞馬となった。

老衰の為、死亡

種牡馬を引退したセントライトは、その後余生を過ごしていたが、1965年2月1日に老衰で死亡。

27歳(旧28歳)と、大往生だった。

1947年に同馬の名前を冠した重賞競走のセントライト記念が創設され、1984年にJRA顕彰馬に選出された。

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さいごに

2025年現在8頭が達成しているクラシック三冠。

史上初となる三冠達成、その後古馬戦線に挑まず約8ヶ月の現役生活に別れを告げ、他の三冠馬とは違った現役生活を送ったセントライト。
その他にもダービー史上最大着差となる8馬身差でレースを制するなど、多くの偉業を残した。

種牡馬としても多くの重賞勝ち馬を残したセントライト。
今後も三冠馬が誕生する度にその名が挙げられる事だろう。

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セントライトの情報

セントライト(牡馬・黒鹿毛)
1938年4月2日生
1965年2月15日没 27歳(旧28歳)

父ダイオライト
母フリッパンシー
母父フラムボヤント

[生産者]
小岩井農場

[馬主]
加藤雄策

[調教師]
田中和一郎(東京)

[競走成績]
12戦9勝

[主な勝ち鞍]
1941年 横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、東京優駿競走(現:東京優駿)、京都農商省賞典4歳呼馬(現:菊花賞)

[獲得タイトル]
1941年 クラシック三冠
1984年 JRA顕彰馬

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